子供が与えてくれる「自分は生きていていいんだ」という感覚について

最近生きていて、つくづく自分にとって子供達の存在は「大きいなぁ」とあらためて感じる。

僕には二人の娘がいる。小さい娘達は、いつだって僕に愛情を注いでくれる。言葉で「大好きだよ」と言ってくれる時もあるし、たとえ言葉がなくても、いつだって日常で彼女達の愛は感じることができる。

たとえば、ふとした時に「はい」と折り紙の作品をくれること。いざ一緒に遊んでも全然相手にならないのに、それでも「パパ、あそぼー」といつも声をかけてくれること。

子供達にとっては、それほど大した意味ももたない、日常のちょっとしたやりとりにすぎないのだと思う。それでも、そのひとつひとつが僕の喜びになる。それは一言で言えば、「必要とされるのが嬉しい」ということなのだと思う。

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生きていれば、僕も落ちこむ時はある。そんな時は、「自分は何もできないなぁ」「自分なんて、生きていていいのかなぁ」などと考えてしまう時もある。

そんな時でも、子供達と接していると「こんな自分でも愛してもらえるんだなぁ」と感じる。「自分は生きていていいんだ」と思うことができる。そう感じさせてくれる彼女達の存在は、今の僕にとってとてつもなく大きい。

普段生きていると、「自分は生きていていいんだ」と思える機会は少ないのではないだろうか。

たとえば仕事を通して「自分は生きていていいんだ」と感じることができる人がどれほどいるだろう。多くの人はそう感じられないからこそ、それを感じたいがために、日々無理して長時間働いているのではないかとすら思える。

まぁ、そんなに深く考えなくてもいいのかもしれない。子供と過ごしていると、幸せ。シンプルにそれだけでもいいとも思う。

「もったいないなぁ」と思うのが、人が子供と過ごす幸せにすぐに慣れてしまうということだ。

子供と過ごす喜びや、子供達がくれる無償の愛も、意識をしないといつのまにか当たり前の日常の一つになってしまう。

特に毎日忙しくすごしていると、子供達がプレゼントをくれたり、愛情を示してくれたりしても、いつのまにかそれが当たり前となってしまい、「ありがたいなぁ」と感じることもできずに、時が過ぎ去っていってしまう。

僕自身も思い返せば、子供達が今よりずっと小さかった時は今ほど彼女達の存在にありがたみを感じることができなかった(育児が大変で、自分の気持ちに余裕がなかったことも理由の一つだとは思う)。

今こうして彼女達と一緒にいられる喜びを実感できるようになったのも、彼女達があと数年もすれば、「パパ、パパ」と自分を求めなくなるという未来が見えてきたからかもしれない。

いよいよ子供達と一緒に過ごせる時間も残り少なくなってきた。

彼女達がくれる無償の愛をしっかり感じながら、一緒に過ごせる残り少ない時間を楽しんでいきたい。

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この記事を書いた人

滝川 徹

1982年東京生まれ。
慶應義塾大学卒業後、内資トップの大手金融機関に勤務。長時間労働に悩んだことをきっかけに独学でタスク管理を習得、2016年には「残業ゼロ」の働き方を達成。

その体験を出版した「気持ちが楽になる働き方 33歳大企業サラリーマン、長時間労働をやめる。(金風舎)」はAmazon1位2部門を獲得。

2018年には順天堂大学で時間管理をテーマに講演を行うなど、講演やセミナー活動を中心に個人事業主としても活動している。
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