シゴタノ!の以下のエントリーを読み、僕自身も昔、ここに書かれている女性のように自分を認めることができなかったことを思い出しました。
あれは2年程前だったと思います。上司とゴルフをしていた時、ふとした話で上司から「仕事が丁寧だよね」と言われたのです。
僕自身、自分の仕事が丁寧だと思っていなかったこともあり、その場では「いえいえ」と上司の褒め言葉を「受け取り拒否」してしまった。
その時上司が(今思えば)少し寂しそうに「これは褒めてるんだけどなぁ」とつぶやいていたのが印象に残っています。
それ以外にも、褒められる度に「いえいえ僕なんて」と上司に対して反応していたのを思い出しました。
こういった人に対して、どう接すればいいかのか。珍しく「未解決」となっているシゴタノ!のエントリー。
シゴタノ!で書かれている女性を昔の僕と同じと仮定したうえで、どう対処したらいいか、ちょっと考えてみようと思いました。
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「放っておく」という選択肢
「どう接すればいいか」という問いに対し、一つの回答を先に言うと「どうもしない」という回答となります。つまり、「放っておく」ということです(もう一つの回答は最後に書きます)。
有能にもかかわらず自分を認められない人は、自分を認めないことを一種の「美徳」と考えています。
誰かから褒められて、「いえいえ自分なんてまだまだです」と言うことが美しいと思っているのです。そういう自分に酔っている面すらあると思える程です。
そして有能な人ほど、自分の考えが「正しい」と固く信じています。こういった人達にまわりの人(特に同じ会社の人)が何かアドバイスをしても、この人はきっと自分の考えを変えないでしょう。
それほど強く自分の考えを信じているからです。宗教と同じで、強く信じているその人の考えを変えるのは容易ではありません。むしろ余計なお世話になるかもしれません。
ただし、一つだけ有効かもしれないと思う手段があります。それが最後に書いている回答です。
そのことについて言及する前に、まずこの人がどういう状態に今陥っているか。僕自身の体験から、今一度分析してみたいと思います。
「がんばらない自分には価値がない」という思いこみをしている
昔の自分をふりかえると、「がんばらない自分には価値がない」と思っていたように思います。
がんばるから、人から認められる。がんばらない人には価値がない。そんな考え方を「信じていた」わけです。
日本の社会で「優秀」と言われる人ほど、この考えを信じていると言えるでしょう。幼少期の頃から親の期待に応えられるよう、がんばってきた人達です。
学歴が高い人などが代表例です。僕自身もそうでしたが、(今思えば)親の期待に応えようと勉強やスポーツをがんばってきました。
そういう人達は、「がんばってきたからこそ、人に認められてきた」と思っているのです。「がんばる→認められる」という計算式がプログラミングされているのです。
これは逆にいうと「がんばらない→認められない→自分には価値がない」というプログラミングなのです。
それでも、自信がないわけではない
一方で、この人に自信はないのか?と聞かれると「ある」と思います。
それこそ今まで積み上げてきた自信はあるのです。それなりに今までがんばってこれた人間ですので、それなりの成果(学歴など)を出してきているからです。
こうした「成果」のみが、彼らの自信のよりどころになります。つまり良い学歴、良い会社、素晴らしい業績など、社会的に良いとされる評価を得ることが、自信の根拠となるのです。
この人の特徴は、自分達の価値を社会的評価をはじめとした「自分以外の外の世界」に委ねる点です。そしてその「外の世界」は常に上がり続けるのも特徴です。
この人は目標を達成し続けることでしか、自分の価値を保てないのです。先ほど述べたように、「がんばる=自分に価値がある」と考えているからです。
例えば売上1,000万円を目標に掲げて、それを達成する。そしたら次は2,000万円。それをクリアしたら、次は3,000万円。
こうしてずっと、目標をクリアし続けることで、一定の自信を保っているのです。
この考えの問題点は、常に上を目指し続けてしまうことです。つまり、「がんばる=自分に価値がある」という考えをやめないかぎり、永久に自分を認められる時はやってこないということです。
なぜなら自分の価値は常に「まだまだ」だからです。
売上1,000万円の時の自分は、売上2,000万円になった時の自分と比べて自分を「まだまだ」と思います。そして2,000万円を達成した時、つかの間の喜びを味わい、3,000万円の自分と今を比較して「まだまだ」と思う。
これを繰り返していくのです。
変わるためには「きっかけ」が必要
ではどうしたらこの人は自分に価値があると思えるようになるのでしょうか。
結論から言えば、「がんばる=自分に価値がある」というプログラミングから自分を解放することです。つまり、「がんばらない自分にも価値がある」という考えを信じるようになるしかありません。
しかし考えを変えるとは、宗教を変えるようにとても難しいことです。いきなり明日から「がんばらなくてもいい」と考えを変えることは難しいでしょう。考えを変えるためにはそれなりのきっかけが必要だからです。
僕自身は、会社で実績を出せば周囲から認められると思っていたのに現実が変わらなかったという経験をした時に「自分の考えは間違っているのかもしれない」と考える本と出会いました。
この人も、こうした「どん底」を味わう経験が必要なのかもしれません。僕自身、この経験がなければ自分の考えを変えようと思わなかったと思います。
その後、心屋さんの本がきっかけとなり、僕は自分の考えを変える決意をします。「がんばらなくても自分には価値がある」という考えを信じてみることにしたのです。
しかしその考えを信じるためには、それなりに自分の中で根拠が必要です。いきなり「信じる」ことはできません。
そこで僕は心屋さんの教えに則り、まず「自分はすごいかもしれない」と考えることからはじめました。
自分の価値を受け入れる「許可」と「受け取る」こと
「自分はすごいかも」と思うことからはじめる。そして褒められたら「ありがとう」と素直に受け取る。これは当時読んだ心屋さんの本に書いてあった手法(?)です。
「がんばる=自分に価値がある」と考える人は、「自分はまだまだ」と常に思っていますので、他人からの褒め言葉を受け取れないという特徴があります。
つまり「受け取り拒否」の状態なのです。冒頭に書いた通り、他人から褒められても「いえいえ、自分なんて」と他人からの賞賛を素直に受け取れません。
だからまずは他人からの「すごい」を素直に受け取る。ちょっと気持ち悪くても「ありがとう」と素直に受け取ることからはじめる必要があるのです。
そのために自分はすごい「かも」と考えることからはじめる。つまり他人からの「すごい」を受け取る「許可」を自分の中に出すことからスタートするのです。
僕自身、これを意識しはじめてから、他人からの「すごい」を自覚することができるようになりました。
ブログの読者から「すごい」と言われたり、仕事の関係者から「仕事がデキる」と言われるようになったのです。そしてその度に「ありがとう」と受け取るようにしました。
後になってから気づいたのですが、こういった褒め言葉もきっと以前から言われていたことなのです。以前の自分は受け取り拒否をしていたから、「気づかなかった」言葉達なのです。
そしておもしろいことに、こうして自分が褒め言葉を受け取っていくと「自分はすごいかも」と自信が少しずつですが、ついていくようになりました。
課題と向き合う
こうして「自分はすごいかも」と思えるようになれば、「がんばらない自分にも価値がある」という考えを信じるスタートに立てたと言っていいでしょう。
そうなると次のステップは、「がんばらない」を実践していくことになります。
「がんばらない自分にも価値がある」と信じるようになるためには、実際にがんばるのをやめてみて、「自分はがんばらなくても価値がある、他人から認められている」と体感する必要があるからです。
体感しなければ、本当の意味で「がんばらない自分にも価値がある」と信じることはできません。
想像してもらえればわかると思いますが、これはものすごく勇気がいることなのです。
それは例えばやりたくない仕事を断ったり、他人にわがままを言ったり、仕事をサボったりすることだからです。
これらは自分がずっとそうしたかったけど、まわりから嫌われることを恐れて避けてきたことです。これらを避けるためにがんばるに「逃げてきた」。
その逃げてきたことと、今度は対峙しなければならないのです。これほどこの人にとって、勇気が必要なことはないでしょう。
しかし考えを積極的に変えるためには、この「イバラの道」を通らなければなりません。
僕自身の体験は、以前からこのブログで書いてきました。以下のエントリーを参考にしてほしいと思います。
自著「気持ちが楽になる働き方」には僕の体験が全てまとめて書いてあります。こちらも読まれると理解が深まると思います。
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いずれにせよ、イバラの道を通過してようやく、この人は本当の自信を手にいれることができるようになります。
「チャンスを与える」という選択肢
シゴタノ!の問いは「まだまだ」という人に対して、「どのように接するか」でした。
ここまで書いてきたことからおわかりの通り、「この人の考え方が変わるまで待ってあげる」しかないと僕は思います。
それだけこの人の考え方を変えるのは容易ではないですし、これはこの人自身が乗り越えなければならない「課題」とも言えるからです。
もう一つ、回答を挙げるとしたら。まわりの人ができることは、「チャンスを与えてあげる」ことだと思います。
僕自身ふりかえると、大橋悦夫さんとセミナーを共催できたことは大きな自信となりました。
しかし当時ブログに書いていますが、最初に大橋さんからセミナーを一緒にやろうとお誘いを受けた時、僕はそのお誘いを蹴っています。
自分を「まだまだ」と思っていると、こういう現象が起こるわけです(苦笑)。
しかしこうしたお誘いがなければ、このセミナーも実現しなかったでしょう。当時の僕から大橋さんに「セミナーをやりましょう」などと申し入れることはできなかったと思います。
だからこそ、まわりの人にできることはチャンスを与えてあげることだと思います。それを受け取るか受け取らないかは、もちろん本人が決めることです。その人もまだ受け取れないかもしれません。
しかし大橋さんのお誘いが僕に光をもたらしてくれたように。いつか、そのチャンスがその人の自信に繋がることもあるかもしれません。
それを期待して、信じて待つ。これが僕なりの答えとなるでしょう。
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