最近の僕はかなりわがままに生きている。
「わがままに生きる」と聞くと、自分勝手に生きるイメージがある。そんな生き方をすると、他人から嫌われてしまうのではないか。そう思ってしまう人も多いはずだ。
でもそれは大きな誤解だ。
「わがままに生きる」とは、自分が生きたいように生きることで、結果的に他人も大切にする生き方だ。
どういうことかと言うと。
まず自分が生きたいように自由に生きていくことで、自分自身が満たされる。
そうして自分自身が満たされると、人は自然と「他人のことを大切にしよう」と思うようになる。
そうすると自然と他人のことも思いやれるようになり、そのように行動も変わってくる。
そうした生き方をしていれば、当然他人からも愛されるようになる。
このことは僕自身がわがままに生きるようになり、強く実感していることだ。
今でこそわがままに生きている僕も、昔は「わがままに生きていたら嫌われる」「愛されるためには自分を犠牲にしないといけない」と考えて生きていた。
正直に告白すると、その時は今のように。心から他人のことを大切にしようと思えていなかった。
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同僚に対して「お前もがんばれ」「自分でなんとかしろ」と思っていた
たとえば仕事で同僚が大量の仕事を前に溺れていても、手遅れになりそうなレベルにならない限り、見て見ぬふりをした。
他の同僚の目が気になる時は助けたりもした。そんな時も本心では「人に迷惑かけるなよ」と思っていた。
もちろん、頭では「助けてあげなきゃ」と思っていた。
でも当時は自分自身も必死になって仕事をしていて、余裕も全くなかった。
そんな状態だったので、「お前もがんばれ」「自分でなんとかしろ」と思ってしまっていた。
人は自分が我慢していると、他人にも同じように我慢を強いるようになるのだ。
わがままに生きて、同僚に感謝し「役に立ちたい」と思えるように
わがままに生きるようになって驚いたのは、同僚に対して感謝の気持ちを感じるようになったことだ。
わがままに生きるようになってから、僕は自分がやりたくないこと、苦手なことを人にできるだけお願いするようになった。
そうして自分自身が我慢をしなくなり、楽しく働けるようになると。他人へは、感謝の気持ちしか生まれなくなる。
同僚が困ってると、自然と「助けてあげたい」と思うようになった。
実際に先日、同僚が困っているのを見て。僕自身、本心から同僚の「役に立ちたい」と思った。そして同僚の仕事を一部引き取ることを提案した。
同僚の仕事を自分が自ら引き取るようになることなんて、昔の自分からはとても想像できないことだった。
こうしてわがままに生きるようになり、自分自身にゆとりが生まれ、他人のことを思いやれるようになった。
今の僕は自分自身の生き方に心から満足している。
まとめ
「わがままに生きる」と聞くと、「自分勝手に生きること」「人から嫌われること」を連想してしまう。
でも、「わがままに生きる」とは、自分が生きたいように生きることであり、その結果として、「他人のことも大切にできるようになる」「愛される」生き方なのだ。
昔の僕のように、「わがままに生きていたら嫌われる」「愛されるためには自分を犠牲にしないといけない」と生きてきた人にとっては、ものすごく怖い生き方かもしれない。
でも、僕は勇気を出してわがままに生きるようになり、本当によかったと思っている。
あなたにもぜひ、この喜びを味わってほしい。
わがままに生きよう。
「なかなか一歩踏み出せない」という人は、僕の体験がきっと役に立つはずだ。
ということで、参考にしてほしい!